龍玄堂ブログ
こころのこと
こころのこと7
感情は、この世を楽しむためにとても役に立つものです。
喜んだり悲しんだり。
心の動きの幅が大きいほど感情は豊かになるのかもしれません。
感情は、ある状態や対象に対する主観的な価値付けであり、
対象に関するものと、主体自身に関するものがあります。
主観的な価値付けであるが故に感情の持ち方は人それぞれですので、
例えばある出来事を共有した時、それぞれの人がその出来事に対して
いだく感情もそれぞれです。
ある人はそれに対して怒りだし、ある人は無関心、ある人は噴き出して
笑っている。
価値付けの違いがそれに対する態度をも決めていきます。
この価値付けは、その個人が経験してきたことや教育、身内や地域、
マスコミによる影響など、「心の領域」に蓄積した素材によって
価値付けされます。
そして、この価値付けをする時、その個人が好んでいる感情の傾向が
大きく影響します。
なにかにつけ、怒っている人。
なにかにつけ、悲しんでいる人。
なにかにつけ、笑っている人。
あらゆるところに怒りを見出すひと。
あらゆるところに悲しみを見出すひと。
あらゆるところに笑いを見出すひと。
常にかたよった感情でいるとそれを感じることができる
出来事に出会います。
出会うと言うより、無理にでもその出来事と感情を結びつけたりします。
満開の桜の花を観て
晴れやかに清々しくなって愛でるひと
もう後は散っていくだけか....と悲しくなるひと
後の掃除が大変だ...とボヤくひと
毛虫が発生したら許さん!と怒るひと
人それぞれ、抱くものは違います。
しかし、魂の本質とかけ離れた感情ばかりを感じていると
魂はくもってその輝きを発揮することが出来なくなります。
そして、輝きを失わせるような「負」の感情の虜になってしまうと
身体へも人生へも悪影響が出だします。
悲しみを好めば悲しみの主人公のような人生になるでしょう。
怒りを好み、攻撃的な想念で常に周りを攻撃していれば
やがて周りに放った攻撃のエネルギーは自分に返って来て
怖くて外を歩けなくなるかもしれません。
自分自身がどんな感情を好んでいるのかを知る事は
今までの人生の流れを変える上でとても重要なことです。
勿論、ほとんどの方が「正」の感情と「負」の感情の両方を
持ち合わせていて、バランスをとって人生を楽しんでいます。
心の動きの幅が大きいほど、人としての経験値も上がり豊かな人生経験
となることと思います。
しかし、「負」の感情の方が好みで、その割合が「正」に勝ってしまうと
人生はゆっくりとその「負」の感情が指し示す方向へと進んでいきます。
ゆっくり進むので分かりにくですが、確実にその方向へと向かうでしょう。
もし、「負」の感情を好む傾向がある事に気が付いたなら、
意図的に無理矢理にでも好みを変えた方が良いでしょう。
感情を自分自身で客観的にコントロールする必要がありますね。
悲しみの主人公になったり、自身の放った想念で自分自身を不自由に
したくなければ。
こころのこと6
まったく初めて遭遇したもの
考えてもみなかったことに出会ったとき
思考は「心の領域」の素材のどれをどのように使えば
良いのか分からなくなる。
また、それを理解するための素材が存在しないことも。
数学に詳しくない人が、高度で専門的な数式や公式を
見たときと同じである。
見た事のある数字とアルファベットが組み合わされて並んでいる
その一つ一つは知っているが、その公式が何を現しているのか
まったくわからない。
でも、それを知る為に、基礎的なところから理解していくと
その数式や公式が現しているものが理解できるようになる。
それを知る為の素材が蓄積されていって、思考が効率よくそれらを
選択して思考し、理解に到るからだ。
私はなぜここに存在しているのか?
人はなぜ産まれてきて死んで行くのか?
人生の永遠のテーマとも扱われるこれらの問いも
自分の領域にあるものを知ること
神について知ること
宇宙の理を知ること
これらのことを知り、理解を深めることで
その答えがみえてくる。
理性を働かせ、客観性を保ち、感情を完全に支配することで
真実を知る事が出来るのである。
感情的で、主観的で、不公正に特定の思い込みでこれらを理解するならば
それは真実からかけ離れたものとなる。
真実からかけ離れた理解で生きていくと
人の修業発展、霊性の向上の妨げになるのである。
もし、自己の霊性向上、修業発展を望むのであれば
数式を理解する為には基礎から学ぶことが必要であるように
自分の領域にあるものを知る事
神について知る事
宇宙の理を知る事
は不可欠なことです。
勿論、
理性を最大限に働かせ
常に客観的な視点で物事をみて
感情を完全にコントロールして!
こころのこと5
「心の領域」にある素材の中で
よく思考が使うもの。
何かを目にしただけで頭の中に出てくる言葉。
条件反射的に出てくる想い。
例えば、特定のものや事柄にふれた時に
必ず出てくる親の言葉や
誰かが言った印象に残った言葉
そういうのってありませんか?
ふとある言葉や特定の想いが出てきて、しばらくそれに浸って
想いを廻らせたり、言葉だけがグルグル何度も頭の中に
繰り返しでてくること
その言葉や想いについて散々考えた挙げ句に
またふと我に返る
そういうのって経験したことありませんか?
その言葉や想いは、成功や成長、拡大する方向に
むかう言葉でしょうか?
その反対に向かう言葉でしょうか?
その、浮かんでくる言葉が
否定的で不成長を指向するもので
縮小することを容認するものだったら....
蔑んだり、貶めるものだったら...
攻撃的なものだったら....
意思力を最大限に使って改めることをお勧めします。
その言葉の、その想いの指し示す方向は
天国ですか?
地獄ですか?
この地球が豊かで幸せになるような方向を
求めて頂けたらな〜
と思います。
こころのこと4
聖地、パワースポットで最大に恩恵を受けられるようになることと
神さまの「みこころ」と自分の「こころ」を一つにすること
には、共通点があります!
それは
頭で考えていること
腹の中(胸の中)で考えていること(感じていること)
言葉で話していること
の内容が、一つであること(統一されていること)
が、必要だということです。
そして、その統一されている思考と言動の方向性が
神を、聖地を、パワースポットを「祝福」するものであること!
が、最も必要です。
自分の意識が放ったものは、
必ず自分に帰ってきます。
これは法則です。
認めようが認めまいが、必ず作用することです。
ただ、この世には時間というものがあり、
自分に返ってくるのに時間がかかるので
いつ放ったのか、どの部分から(頭か腹か無意識に喋ったか)か
覚えてなかったり、自覚がなかったりします。
もし、時間がない世界だったら?
「憎たらしいので殴ってやりた!」
と思ったのと同時にすでに殴られているのです。
相手の良いところに気がついて
「なんて素晴らしいんだろう!」
と思ったのと同時にすでに祝福されているのです。
暗闇の中にいることに気がついて
「光を!」
とおもった瞬間に光に包まれているのです。
自分がその対象に向けて放った想いが
自分とその対象の関係性をつくっていきます。
あらゆるものと、良い関係をつくるには
あらゆるものの中から素晴らしいところを積極的に見つけて
祝福することです。
神さまや聖地にむけて、どんなものを放っていますか?
お願いごとだけ?
手をかざして何かを感じるだけ?
もらう事だけ考えていて平気ですか?
神さまも聖地も、ほんとうに大好きになって
好きで好きでしょうがないくらい好きになって
神さまや聖地の為になんでもしたい!
って思うようになって
頭でも腹の中でも話す内容もが一心になって
祝福のエネルギーを贈ることができれば
恩恵も受けるでしょうし、神の「みこころ」にも
ふれられるでしょう。
真摯に神さまや聖地を愛する人が今よりもっともっと増えたら
この世は、
もっともっと
素敵になるでしょうね。
こころのこと3
パワースポット!
ブームとなって、とても世間に浸透しました。
雑誌やテレビなどで紹介されるそのスポットへ
多くの人がそのパワーを貰いに訪れます。
パワースポットは他の場所とはまったく違う、
何かしら神々しい、神聖なエネルギーを放っている場所だと思います。
そのパワーを貰う!
どこにもらうの?
カバンにもポケットにも財布にも
入っていませんよね?
そう。
自分の「領域」に貰うんです。
清々しい聖地を訪れると。何となく心も晴れ晴れとしてきたり、
前向きな考えになってきたり、
やる気が出てきたり、
それまで考えもしなかったアイデアが浮かんできたり、
悩んでいたことが突然、どうでもいいことにおもえたり.....。
パワースポットを訪れて、いろんな経験をされた方が
沢山いらっしゃると思います。
パワースポットの恩恵を受けると、そこを訪れる前とは
明らかに違った状態になりますよね?
そこを訪れることによって、自分の「領域」と
パワースポットの「パワー」がリンクするのです。
パワースポットで頂いたそのエネルギーは、自身の
こころの領域のなかの素材となり、
思考がそれを選択することで、それまでの悩みが晴れて
どうでもよくなったり、
新たな素材で思考することで、それまで考えもしなかった
アイデアが浮かんできたり、
リンクしたその聖地のパワーの質によって、全身が清々しく
感じたり、パワフルにやる気がみなぎってきたり。
そこを訪れた人の状態に応じていろんな事が起きます。
「心の領域と意識の法則」を知り、適切に行動することで
聖地から受取るものを
もっともっと高めることができます。
聖地、パワースポットからの恩恵を
最大限に!!
受取りたくないですか?
こころのこと2
神さまの「みこころ」を知りたいと思いませんか?
自分の「こころ」と神さまの「みこころ」
一緒になりたいとおもいませんか?
私たちの「心の領域」には、思考が使ういりいろな「素材」があります。
それは、
育った環境によって培ったもの、
学校での教育、
親の観念、価値観、
地域的な気質.....
本当にさまざまです。
自分の肉体を構成している細胞の一つ一つの中にあるデータから
放っているものもあるし、自身の魂が前世までで経験してきた記憶
によるものもあります。
我々は、日常の生活の中で、思考がこれらの素材の中から選択して
判断し、行動します。
その、選択し、判断するための素材が神さまと同じものになったら......
想像してみて下さい!
素敵じゃないですか?
「そんな、恐れ多い....」って思いますか?
自分の「こころ」と神さまの「みこころ」が一緒になる!
「めにみえぬ かみのこころに かようこそ
ひとのこころの まことなりけり」
明治天皇御製の和歌です。
それを望むのか、望まないのか.....
先ずは、
望まなければ始まらない。
ね。
こころのこと1
「こころ」ってなんでしょう。
それ自体を見ることは出来ないけど、確実にそれが存在する事は
皆さん知っていいます。
「こころ」を使った言葉は沢山ありますね。
日本のこころ。こころ尽くしの.... 虚栄心。慢心。自尊心。羞恥心.....
◯◯心とつく言葉はとても沢山あります。
「こころ」には沢山の状態があると考えられます。
そこで、「こころ」をあらかじめ定義付けした方が分かりやすいので、
ここでは「こころ」をそれぞれの領域が所有する領域、またその中にある
素材であると定義して「こころ」について理解を深めていきたいと思います。
こころの領域には様々な素材が存在していて、それのどの部分が現れるかで
それに付けられる名前が変わります。
それが、◯◯心という名前で表されたりするものですね。
これら、こころの中の素材を選択して使うのは、「思考」です。
人の場合、思考が自分の心の領域の素材を目の前の出来事に応じて選択し、
それによって判断し、行動して行くのです。
その連続、繰り返しが人生を創っていきます。
そして、その経験がまた自分の心の領域の素材を増やしていきます。
度々使用するその素材を使いやすいようにに配置することで
その人の行動パターンが出来て行きます。
そのパターンが強化されていくと条件反射的に、思考しなくても言動に
現れてくるようになるでしょう。
このようなパターンがその人の人生の方向性を決めていきます。
そのパターンの質によってその人の人生の質が決まっていくでしょう。
もし、望み通りの人生でなければ、このパターンと使用している心の領域の素材を
見直して、改める事で人生で経験することを変えて行く事ができるのです。
お疲れさまでした。
6/30 7/1 そして今日、7/3の
セミナー参加のみなさま、お疲れさまでした。
それぞれに、いろいろ受け取って頂けたのではないでしょうか?
今日のセミナーでは、こころの領域を大きく区切り、整理する事で、
その仕組みを明確に知ることができたと思います。
今、自分の意識はどの領域のどんな思考の素材を使っているのか。
それによって判断し、行動するとその先はどういう結果に向かって行くのか!
人は皆、日々思い、言動することで未来を創造しています。
どの領域に意識を住まわせるかでその先の人生が決まってきますよね?
日常で、自らの意識のポジションの確認にお役立てください。
そして、30日~1日のセミナーでは新しく言霊をお伝えしました。
その清まり方を実感して頂けた事と思います。
日常のあらゆる場面で使ってくださいね。
お疲れさまでした。
それぞれの正義
正義とは一体なんでしょう。
正義とは、人の道にかなって正しい事。
しかし、人や国によってそれぞれ正しいと
思う事が異なっているが故に、今も聖戦の名
の下に世界のどこか戦いが起きて居ます。
こころの領域には、小さな頃から育った環境や
その地域、国に纏わる文化や風習、先人達の
遺した想念までもが存在します。
人と人、国と国といった枠組みを越えた、
もっと高い次元の領域から全体を観て判断出来る、
思考の素材を採り入れる必要があるのではないだろうか。
お互いがお互いの思考の素材を知り、
何故その様な言動をし、何を経験しているのかを
理解し合える事ができたなら、問題解決への道が
開かれるのではないでしょうか。
より高い次元の思考の素材を積極的に採り入れる事は
個人の霊的成長は勿論、人類全体の霊的成長にも
必須の事項であると思います。
お互いが、それぞれの正義を主張し合うよりも、
もっと高い次元の視点でお互いを理解し合う事が
出来る。
そんな思考の素材が必要だと思います。